【豊臣秀吉の大阪城】その歴史と現在の見処

 

豊臣秀吉とは

豊臣秀吉の出自は正確にはわかっていない。定説では父は鉄砲足軽の木下弥右衛門で戦で負傷した為、百姓に転職。それ故に百姓の出という事になっているが史実はどうでしょう。

まず百姓ならば自身の土地を守らなければならず、それを捨てて他国に行けば犯罪者。捕まれば処刑されてもおかしくない時代なんですが、弥右衛門の死後母親の再婚相手の竹阿彌ちくあみとそりが合わずにいともたやすく出奔しゅっぽん

このことを考えると農民では無く、人別帳(戸籍)にも乗らない、ある種自由な民であった様です。

尾張より東に向かって行商の末(一説には針売りの行商をしていたとか)、今川家は今川義元の下。実際には義元の家来のまた家来の陪臣で遠江の頭蛇寺城ずだじじょうの城主、松下加兵衛の下に足軽として使えたんですね。

この頃から名前も『木下藤吉郎』としました。(文中では紛らわしので秀吉で統一しますね)

そこで持ち前の端っこさから次第に頭角を表すのですが『出る杭は打たれる』の格言通り古くからの家臣達に疎まれ今川家を追われ、地元の尾張に戻り織田信長に仕えていきます。

ここからは信長の草履取り。皆様ご存知の懐で草履を温めたという話から『猿』と信長に言われて、誰とでも満面の笑みで接していた此の頃の『人たらし』の秀吉の出世街道が始まります。

鳴かずなら鳴かしてみせようホトトギス

この例えの歌大好きです。前向きですよね。

大河ドラマなんか見ていると挑戦者たる秀吉の躍動感がこの歌に集約されているみたいです。ただ、本能寺の変の後。中国大返し 山崎の戦い賤ヶ岳の戦いのあと天下を取った後の関白・豊臣秀吉は以下の点からどうも好きになれません。

過酷な割に利のない朝鮮出兵

甥・豊臣秀次に理不尽な罪を着せての切腹指示

その豊臣秀次の一族全員の処刑(4男1女の遺児と39名の側室・侍女達)

 

権力はこれ程までに人間性を変えてしまうのか?と思わせる程、天下を統一後の秀吉は残虐な行為であふれているんですね。

一説には元々残忍な性格であったが、自身の出世の為、殻を破って

「人たらし」を演じていたという解釈もあるんですが。

戦いの末に確保された大阪城の用地

宿敵。柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで倒した秀吉はなにわの上町台地に大阪城城の用地を築きます。

この上町台地周辺は西への備えの拠点。また貿易港『』の河口に位置することから天下を目指す戦国大名にとっては要所であり、もともとは石山本願寺の所有地でした。

天下布武」。主君、織田信長がこの地を欲したのはそんな要因に加えて、ここに築城すれば向後に控えた淀川大和川が天然の要塞となることからどうしても欲しかった土地なんですね。

実際、石山本願寺を11年かけて降伏させたあと、城造りに着手。しかしその矢先に明智光秀による 『本能寺の変』で大望を果たせず自害。

その後は秀吉が織田信長の路線をたどるように歴史を作って行きますが、まずは築城。

本願寺の変、山崎の戦いから一年後の1583年、前述した『石山本願寺』の跡地に城を築いていくんですけど、築城奉行は、城造りに長けた黒田官兵衛。が着任。

洗練された『匠の技』が冴え渡ります。

天下一の巨城完成

築城開始から16年後の1599年漆黒の5層6階(地下部分の2階をいれると8階)、屋根には安土城にならい金のしゃちほこを装飾した荘厳な天守が完成。

鯱瓦しやちがわらや飾り瓦を施した外装、また奥座敷は金銀で装飾され絢爛豪華さにおいては参考にしていた安土城を初め他の城を圧倒。

また、城の外側も三重の堀を施し、さらに城下町をも取り囲む巨大な総構え総構えとしたことで、当時としては世界最大の規模だったといわれています。

美しいだけの城ではなく、難攻不落の大阪城がここに完成しました。

夏の陣で灰塵と化した大阪城

 

つゆと落ち つゆときへにしわが身かな なにわの事もゆめのまたゆめ

慶長3年(1598)8月18日、小さな巨星・豊臣秀吉が伏見城で没した。享年62。

家康は、秀吉の死後、1600年の『関ヶ原の戦い』で敵対していた石田三成を初めとする西軍を破り、徳川幕府を樹立。源氏の棟梁たる征夷大将軍に着任します。

その家康に対し、臣従をしんじゅう拒否し続ける『淀どの』を初めとした反徳川の勢力に業を煮やした家康が方広寺の鐘の銘文に、「徳川家康を呪った」とする「国家安康」「君臣豊楽」の記述に難癖を付けたことから一連の戦いが勃発するんですね。

家康としてみれば、孫にあたる『千姫』を秀吉と淀どのの嫡男、豊臣秀頼に嫁がせてまで穏便に幕府の序列の中に組み入れようとした温情を踏みにじられた憤り。

また、それとは別に、二条城で初めて秀頼に逢った時、たぐいまれな『親方』としてのオーラに「豊臣をこのままにしておけない」という焦りが、戦へと駆り立ててしまいます。

 

現在の大阪城(外観)

 

豊臣秀吉が築いた大阪城は、前述した大阪夏の陣で灰塵と化しましたが、跡地に数メートルの盛り土をした上で徳川幕府が築城。多くの巨石と土塁で石垣を築いて、秀吉の大阪城を完全に埋め込んだ形です。1959(昭和34)年と1984(昭和59)年の2回、発掘調査が行われましたが、1回目では、石垣と推測される花崗岩がおよそ、地下9.3mの位置から確認された事を考えると9メートル近くの盛り土だったんですね。

そうして再建された大阪城も、寛文5年(1665)の落雷で天守閣が焼失。昭和6年(1931)第7代大阪市長の「関一」(せき はじめ)が大阪城の天守閣復興を提案、市民らの寄付により建造されるまで266年間、天守閣の無いお城でした。また、この工事により黄金の装飾も屋根の鯱、勾欄下の伏虎等に再現され、現在、国の登録有形文化財となっています。

平成7年から9年(1995-97)にかけては大阪城の大改修が行われ、外観の修復作業と復元作業。また、内装に於いては耐震強化や身障者用エレベーターの設置等が施され、大阪のシンボルとして更に輝きを増しています。

西の丸庭園

大阪城本丸の西側に広がる西の丸庭園は豊臣秀吉の正室・北政所の屋敷があった場所と言われている。西の丸には、桜や紅葉樹が、季節の移り変わりを教えてくれる。このエリア内には、千貫櫓をはじめ、焔硝蔵、乾櫓の三棟が現存しているので、散策の途中に是非とも見ておきたい。

現在の大阪城(城内)

外観は荘厳とした印象の大阪城ですが、中に入ると鉄筋コンクリートのフロアー。そのギャップに驚かされます。

お城の中にエレベーター!

お城の中にエレベーター!

ただ、大阪城の歴史や秀吉について学ぶにはとても分かりやすく説明された展示ホールといった感があります。

まずはエレベーターで5階まで行きます。で、ここから展望台のある8階まで階段。

 

8F 展望台

高さ地上50メートルの展望台。前述した身障者用エレベーターで車椅子でも行くことができ、 生駒山や六甲山、信貴山といった山々。また日本一高いビル「あべのハルカス」も一望できます。

他施設

ステレオスコープ「なにわ風景」(大阪の昔の街並みが立体的に拝見出来ます)
ミュージアムショップ(大阪城のお土産)

 

7F 展示ホール(豊臣秀吉の生涯)
波乱万丈の藤吉郎時代の秀吉を様々なアイテムを使って紹介しています。

からくり太閤記」は、ジオラマと映像で足軽から太閤へと出世していく秀吉。そのエピソードを取り入れながら表現している展示で、全19場面。ただどういう仕組みなのか?動きは完全に実写。観ているとミニチュアの人間が駆け回っている様で、大変興味深い。上映時間はあわせて約20分。

からくり太閤記 醍醐の花見

からくり太閤記 醍醐の花見

「史実・真説太閤記」

史実・真説太閤記

史実・真説太閤記

「秀吉の生涯とゆかりの人」

秀吉の出世街道とも言うべきアクティブな年表家系図と共に学べます。その大屏風は秀吉好みの『金色』。秀吉の花押や朱印も押印されています。

5F 大坂夏の陣図屏風

6階はないので5階へ。
『大坂夏の陣図屏風』+『映像とミニチュア模型』を使い、「天王寺口の戦い天王寺口の戦い」の様子を紹介しています。

 

4F~3F 秀吉と戦国時代
戦国時代・大阪城等、秀吉の生涯にかかわる歴史的資料のを展示、(3Fの 黄金の茶室原寸大模型 等は必見)。また定期的に展示品の入れ替えがあるのでその都度「新情報」がゲット出来るし、展覧会の開催もあるので実は歴史を勉強する上で3F~4Fがかなり充実している。

(撮影禁止)

2F 大阪城の来城記念に人気の試着コーナー

『戦国時代の好きな武将の兜と陣羽織を着て写真を撮ろう✨!』2階は色とりどりの兜が並ぶ試着コーナーがある。戦国武将の兜(かぶと)や陣羽織、また、女性用の小袖も用意。

1人1回500円とリーズナブルな価格なので大阪城の来城記念には打ってつけ。素敵な一枚を撮って、SNSへアップしよう!

 

陣羽織を試着する外国人

陣羽織を試着する外国人

 

まとめ

1496年(明応5年)から524年が経った今でもその輝きを放ちつ続ける大阪城。石山本願寺から500年以上の長い歴史のなかで、大阪の街を見守って来ました。

つゆと落ち つゆときへにしわが身かな なにわの事もゆめのまたゆめ

現在の大阪城は前述のとおり秀吉が建てたものではありません。

ただ、地元では今だに『太閤はんのお城』と呼んでいるそうです。史実はどうあれ大阪城といえばまず秀吉なんですね。

大阪城は決して夢のまた夢ではなく、私たち日本人のDNAの中にしっかりと受け継がれています。『太閤はんのお城』と!

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