【長崎観光必須!】大浦天主堂から坂本龍馬ゆかりのグラバー邸へ

赴きが隠せないグラバー園博物館
赴きが隠せないグラバー園
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長崎と聞いて思い浮かべるものは多々ございますが、前者はキリシタン、後者は明治維新の前後に深くかかわっているんですね

 

思わず涙!大浦天主堂とは?

坂道の突き当たりにすくっと立つ大浦天主堂大浦天主堂。
長崎って教会が良く似合います!

純白が眩しい大浦天主堂

純白が眩しい大浦天主堂

 

坂道の下の方からずっと 見守られていた様な気がしました。

途中にある様々なテナントを抜け、大浦天主堂を目指して登っていくと、すれ違う人、店員さん、自分自身も何だか暖かな気持ちになって……。
気候も天気も良いからでしょうか。でも、私的には、何かしら神秘的なものに包まれているみたいです。

歴史的に見れば「長崎」って、美しい街並みの反面、数々の悍ましい史実をきざんで来ました。

「だから…」という訳でもありませんが、天主堂の入口からこの街を見守っていますマリア像が「もう絶対この街の皆を不幸にはさせませんよ!」と訴えている……。マリア像を見上げた時、そんな風に思ったんですね。

大浦天主堂の生い立ち

さて大浦天主堂の中に入ってまず感じたのはその造形の美しさです。

大浦天主堂は長崎県の教会建築のパイオニアとなった教会で、フューレ神父とプティジャン神父の設計により1864年に建設されれました。

工事は洋の建築様式をベースに天草出身の大工、小山秀之進を中心に進められ、その下地は日本古来の建築様式である竹小舞(たけこまい)であしらえています。

天井はリブ・ヴォールト天井と言って日本最初期の洋風建築です。(1933年に国宝に指定、1953年に再指定されました。)

 

国宝という重み、あるいは幕末から現在に至る歴史の重みなのか、教会内部は静謐にして荘厳。

パワースポットなのでしょうか?ここに居ると本当に癒やされます。

信徒発見って何?

キリシタン禁教令から約250年後の1865年2月19日。当時フランス人が普通に礼拝する為の教会。別名「フランス寺」と呼ばれていた大浦天主堂献堂式の翌月。15名程の日本人がここにやって来ました。同年、当教会に配属されたプテイジャン神父にその中の一人の女性が「あなた方の神を信じる心と私どもの心は同じです」と告白。神父が皆を聖母子像の御前に導くと、初めて朝の日差しの中で見る聖母子像に涙して喜んだ。いわゆる「信徒発見」です。浦上のキリシタンは「禁教令」から250年目にやっと解放されたんですね。

 

竜馬も通ったグラバー園

近代日本の動乱期。1863年トーマス・ブレーク・グラバー25歳。21歳の時に日本に来て4年目で、当時としてはとってもおしゃれなグラバー邸を完成させたんですね。

巷では「死の商人」とか言われている彼の邸宅ですが、朝一で訪れた私達夫婦には港が見下ろせるとっても穏やかな空間に見えました。

赴きが隠せないグラバー園

赴きが隠せないグラバー園

グラバーってどんな人

幕末、坂本龍馬に武器を調達した人。私の知っているグラバーの知識といえば、その程度。ただ幕末のあるいは明治維新後の日本には無くてはならなかった人なんですね。

出典: フリー百科事う典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/10 06:35)

グラバー邸の外観

グラバー邸の外観

 

まとめ

大浦天主堂とグラバー園。前者はフランス、後者はイギリスといった。幕末の日本に多大な影響力を持った国がもたらした建造物であり、共に欧米化の象徴的な建物です。

この2つの建物、ほぼお隣ですので歩いていけて便利であり、ちょっと不思議な気もしました。

また、幕末の動乱期においては長崎の他、横浜や神戸の開港があげられますが、グラマーの様に全く文化の異なる外国人が日本でどんな生活をおくっていたのか?

横浜においては自身のブログ【横浜山手のレトロな西洋館とドレス撮影】神戸においては【神戸北野の異人館とドレス撮影】において書き記してございますので一読お願い致します。

 

 

コメント

  1. […] 大浦天主堂とグラバー園(長崎紀行①) […]

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